瑠璃色レンズ

レンズ越しに見たこと、思ったことを綴ります。

誰かの技術ブログに助けられている

私は会社で「パソコンに詳しい人」と思われています。実際のところはものすごく詳しいわけでもなく、大半のことはググってどうにかしています。数年前にこんなツイートが話題になりましたが、まさにこれ!

これまでに聞かれたことの一部を挙げてみると、

  • プリンタドライバーのインストールが上手くいかない
  • ファイルが壊れて開けない
  • Excelで文字の位置を真ん中にしたいがどうしたらいいか
  • Wordのフッターがなんかおかしい
  • パスワードを変えたら社内システムにログインできなくなった
  • Excelでスクロールしても画面が動かない
  • ネットワークドライブの割り当てはどうやるのか
  • OSアップデートしろとシステム部門からメールが来ているが、何をしたらいいか
  • 書類をスキャナーで取り込むにはどうしたらいいか
  • ブラウザの文字が大きくなって元に戻せない

…等々。実に多種多様です。

どうにもパソコンが苦手な人が多く、一般的なOfficeの使い方から社内システムに関することまで聞かれます。分かることならすぐ答えられますが、そうでない場合はググる、社内システムマニュアルを探して解決方法を調査する、といった対応をすることに。

ちなみに私は情報システム部門でもなんでもないのですが、前職でIT系に関わっていたもので、めちゃくちゃ詳しい人だと思われてしまって今に至ります。

正直面倒くさいなぁと思うこともしばしばですが、聞かれて調べたことをきっかけに新しい知見を得られたり、次に同じことを別の人に聞かれたときにサッと答えられたりするメリットもあるので、聞かれたことはなるべく断らないで回答できるよう努めています。

忙しいときや、どうしても解決できないときは、
「あー、この方法でできないなら無理ですね(ニッコリ)」
「ちょっとわからないのでサポートデスクに問い合わせてください(申し訳なさそうに)」
と言って、お断りする場合もありますが。

OfficeやWindows関連の調べ物をするときによくお世話になっているのが、どこかの誰かが残してくれた個人ブログ。実体験に基づく対処方法が載っていたりして、何度も助けられています。よく検索結果のトップに出てくるようなMicr●softのサポートページでは、解決したためしがほぼありません。

私にそれを読み解くだけのリテラシーが足りないのかもしれないですが、なんというか、人間が回答しているQ&Aでも、AIと会話してんのかなコレ?みたいな、質問者の困りごとにピンポイントでヒットせず、やりとりもかみ合わず、結局解決に至らず放置されしまったものがよくあるイメージです。

パソコン苦手な人が、自力で頑張って調べようと思って最初にこういうページにたどり着いたら余計わからないし、それよりもわかりそうな人に聞こう、となるのも無理はない気がします。

そんな玉石混交なネットの海の中で、これだ!という情報に出会えたらそれはもう本当に嬉しい。先日も、メールを送ろうとしたらエラーになってしまうという相談を受けて調べてみたら「リッチテキスト形式のメールのフォント情報量が大きすぎるとエラーになることがある」という解を得ました。

前に、我が社のメールはやたら派手である、ということを書いたのですが、今回はまさに、そんなリッチテキスト装飾メールがスレッド式に連なった結果でした。

相談者には「メール本文内から過去の不要な部分を削除して送ってみて欲しい」と伝えたら、すぐに実践してくれて、無事に解決することができたので良かったです。

 

このように、どこかの誰かの技術ブログに助けられたこと数知れず。会社のパソコンに一通りブックマークしているのですが、中にはブログサービスそのものが終了して見られなくなってしまったものもあります。そのブログ(ヤプログでした)が終了してしまうことはアクセスした時点でお知らせが出ていたので、事前に必要な内容はテキストファイルにコピペして保存しており、自分で見ることはできるのですが。

どこかの誰かが同じように困ったときのために、ネットに残しておきたい気持ちはありつつ、勝手に自分のブログで公開するわけにもいかず、このまま埋もれてしまうのかもしれない…

なんだか儚いけれども、もし残したところで、古くて使えない情報になる可能性もあるし、常に新しい情報が流入してくるのがインターネットの宿命というもの。ぼんやりしているとあっという間にインターネット老人になってしまいそうです。

一年ぶりにブログ書く

いやぁ、あっという間に一年経っていました。
時の流れとは本当に速いものですね。

毎月一回は更新する、というのを自分に課してブログを書いていたのですが、昨年の6月を最後に途絶えておりました。理由は、7月にコロナに感染してしまい「今月は更新しなくていいか…」となったため。完全に治るまでに少し時間を要したもの、8月には気力体力ともに回復していたのに、何というか「よっしゃブログ書くぞ!」というモチベーションが全然湧いてこなくて、すっかり遠のいておりました。

それでも、Twitter(改め、Xになるらしいが…)を通じてフォローしている方々のブログはちょこちょこ読んでいたので、ブログという存在は常に近くにありました。

また、はてなの公式アカウントで紹介されるブログの中には、数年単位でブランクがあったけどまた書き始めている方もいたりして、自分もまぁ書きたいときに書けばいいやとのんびり構えていて、やっとまたこうして編集画面に辿り着けたのでした。

そんな大した中身はないかもしれないけど、貴重なアウトプットの場所として、これからも大切にしたいブログです。Twitter(いつXって自然に言えるようになるかしら…)は気軽に発信できるけど、じっくり考えて言語化するには、ブログは結構良いツールです。これからもきっと。

放置したり、復活したり、自由気ままに楽しくいきましょう♬

 

ところで、記事に貼る画像を探すべく久々に「ぱくたそ」にアクセスしたら、何とAI画像生成ツールで作成したフリー素材が公開されていました。

最初見たとき、普通に写真かと思った!すごいなー

素材をお探しの方、試しに見に行ってみてはいかがでしょうか。

www.pakutaso.com

 

「有隣堂しか知らない世界」がパワーアップしている

我が家のブッコロー

現在、このブログで一番読まれている記事は、私の好きなYouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」について書いたものです。

ruri-iro-lens.hatenablog.com

 

公開直後にTwitterで関係者の方に見つけていただいたことや、今でも「ブッコロー」や「有隣堂しか知らない世界」で検索した結果、ここに辿り着いてくれる方がいるみたいです。単純に、アクセスしていただけて嬉しいのもあるし、有隣堂のチャンネルの知名度が上がっていることも、いちファンとして嬉しい(笑)

 

以前の記事で「毎週更新していて、ネタ切れにならないか心配」と書いたのですが、それは全く無用な心配であることがわかりました。何故なら、動画のアップが週1回から週2回に増えたから。「カッキーン!イチロー」=「火曜と金曜の16時ごろにアップ」だそうです。

⇒その後、また週1回に戻りました。無理のないペースで更新が続きますように。

 

最近面白かったのは、こちらとか。

www.youtube.com

ご当地あるあるってのは、個人的にその土地に縁があってもなくても楽しめるネタで、私は結構好きなんですよ。もちろん出だしの鎧田先生のインパクトもすごい!

 

本屋のチャンネルという枠には収まらないこちらも。

www.youtube.com

イーヤーサーサー言いたい!

 

そういえば、有隣堂アルバイトを卒業されて高校教師となった折橋先生も、また出てくださってるんですよね。

www.youtube.com

今後も新作期待してます!

 

読書用の枕、欲しい。

www.youtube.com

仕事でイライラすることがあっても、今日有隣堂の日だ!と思うと心が軽やかになります。もはやこのチャンネルなしには生きていけません。

4月の雨の日と万年筆

先日、雨が降って部屋の湿度が上がり、ジメジメしているのを肌で感じました。
今年最初のエアコン稼動は除湿からスタートです。

雨の日って、外出するとなると足元は濡れるし、傘という荷物が増えるし、刀を差すが如く傘を横持ちする人にモヤるしで、自分にとってあまり良いことはないのですが、室内で過ごす分には結構好きなんです。

薄暗い部屋の中で雨音を聞きながらのんびりと過ごす時間は、心が落ち着いて、たまらなく贅沢なものだなぁと思います。

それと、高いところから雨に霞む遠くの景色を見るのも、雨の匂いも好きです。

普段ならあまり意識しない五感に気付く。雨の日はちょっとだけ、感覚が研ぎ澄まされるような気がします。

春が過ぎ、新緑の季節が終わる頃には梅雨入りでしょうか。雨が続いたら続いたで、きっとまたカラッと晴れた空が恋しくなるのだから、身勝手なものです。

 

話は変わって、少し前にSNS上である万年筆が話題になっていました。

Kaweco(カヴェコ)というメーカーの、Iridescent Pearl(イリディセント パール)なる限定品。初めて見たのはこちらのツイートでした。

元々、キラキラした貝殻が好きなのと、Kawecoの万年筆も好きで持っていたので、もう何この「好き×好き」!と、一目惚れでした。

ただ、万年筆は増やしすぎないよう心掛けているので、むやみに買うのはよくないぞと、しばらくは自制心を保っていました。しかし、気が付けばSNSで「Kaweco パール」で検索し、購入した方々の写真を見ては惚れ惚れする日々。

これはもう、買わないと後悔する…!と意を決してお店に向かいました。かなりの人気で品薄だという情報も得ていたので、ダメ元でしたが。

いざ売り場に到着し、ショーケースに目的のブツを発見。間に合った!

店員さんに声をかけると、快く試し書きをさせてくれました。あぁ、ついに出会えた実物、なんて可愛いのでしょう。
「これすごく人気で、再入荷したばかりなんですよ。でも残り数本で…」との話を聞き、迷わず購入したのでした。

帰り道、家まで待てずにカフェで開封の儀。

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この透け感と光沢感がたまりません。

ついでに新しいインクも買っちゃったので、帰宅後に早速使ってみました。

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うんうん。はっきりと何色と言い難いニュアンスカラーのボディとインクのこの組み合わせ。好きです。

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パールの加入により、晴れて我が家のKawecoは4本となりました。たくさん使いたいですね。こんな小さなアイテムだけど、私の心を晴れやかにしてくれるのだから、これからも文房具には愛を注ぎたい。

梅雨の時期になったら、雨音を聞きながら暖かいお茶を傍に、しっとり手帳タイムや書写なんてのも良さそうです。

open.spotify.comSpotifyでお気に入りの雨音プレイリスト。寝る前にいいですよ~( ˘ω˘ )

 

こちらもどうぞ✑

ruri-iro-lens.hatenablog.com

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あれから11年

今日は3月11日。2011年の東日本大震災から11年も経つのですね。

何もない毎日の生活を過ごしているとついつい忘れがちになってしまいますが、今日はあの日のことを思い返し、改めて防災を考え、犠牲となった方や今も辛い思いで日々を過ごす方に心を寄せる1日にしたいと思います。

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私の2011年3月11日の記憶は、朝、会社に行くための身支度をしていたところから始まります。あの日もちょうど金曜日でしたね。

時計代わりに流していた朝の情報番組で、翌日に全線開通を控えた九州新幹線のことが取り上げられていたのをよく覚えています。沿線各地からの中継映像で、地元の方々が新幹線の開通を心待ちにしている様子が伝わり、自分まで楽しみでワクワクしていました。

会社へ行き、いつもどおり仕事をしていた15時頃、社内が少しざわつき始めました。上司たちがあれこれ話していて、最初に知ったのは「東京で大きな地震があったらしい」ということ。

当時、沖縄の会社にいたのですが、東京へ転勤して働いている人も多かったので、その安否確認が行われているようでした。私のパソコンにも、東京にいる同期からメッセージが飛んできました。「すごい大きな地震があった!」と。

ですがこの時はまだ、あんなに大きな被害になっているとは露知らず。帰宅してテレビを見て初めて、東北の太平洋沿岸の様子を知ったのです。それでもまだ情報が錯綜していて、断片的な情報しかわかりませんでした。

しかし時間が経つにつれ、各地の映像が流れるようになり、報道される津波での死者数もどんどん増えていって、未曾有の大災害だということが徐々にわかってきました。テレビでは夜通し災害報道が続けられ、翌土曜日になってもその状況は変わりませんでした。何事もなければ九州新幹線開通の様子を見られただろうに、それどころではなくなってしまったんだと、改めて事態の大きさを感じざるを得ませんでした。

週明け月曜日、会社で毎日行われる朝礼も、いつもと違う雰囲気でした。震源から遠く離れた沖縄なので直接的な被害はありませんでしたが、誰もがニュースを見て衝撃を受け、心を痛めている様子は明らかでした。東京へ転勤している人達は無事だったことが伝えられ、皆で黙祷を捧げてから仕事が始まったと記憶しています。

 

あれから11年。私は沖縄を離れ、いつまた地震が起こるともわからない関東で暮らしています。日本列島にいる以上、絶対に地震がないと言い切れる場所なんてないと思いますが、関東は特に首都直下地震の可能性もある以上、常日頃から防災意識を持っておかないといけませんね。

2018年の大阪府北部地震をきっかけに買った防災の本(東京防災)を読み返そう。そして、防災用品も見直そう。自分と、大切な人の命を守れるように。

猫と触れ合って感じたこと

先日、機会があったので初めて猫カフェに行きました。

私は今まで動物を飼ったことがなく、猫に触れるのも親戚が飼っていた子を何度か撫でさせてもらった程度。

なので、特別猫が好きというわけではないのですが、興味本位で行ってみました。

 

流石に人間に慣れている様子の猫たちは、客などお構いなしに各自のんびり過ごしていました。備え付けの猫じゃらしを振ってみても、そんなもんもう見飽きたと言わんばかりに無反応。

しかし、カリカリ(別料金)を買い、給餌用スプーンを手にするや否や、音もなくわらわらと近寄ってくるではありませんか。おお、これは可愛い…と、そっと撫でても嫌がらずに受け入れてくれました。

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猫に触れたとき、真っ先に感じたのが「骨格」でした。

これは別にそのカフェの猫たちがガリガリにやせ細っているというわけではなくて、自分の肘や膝に触れたときのように、関節の形を掌に感じられただけです。

いくら見た目がモフモフでフワフワでも、当然ながらぬいぐるみとは違う触り心地で「生命」の重みがそこにはありました。猫やその他の動物を飼っていて、普段から触れ合っている人からすれば当たり前のことなのかもしれませんが、私にはそれが何だか怖く感じられたのです。

猫の可愛さよりも「生き物の命を預かるって大変なことだな」という思いの方が強く印象に残った、猫カフェタイムでした。

 

かねてから、へんないきものチャンネルをよく見ているせいでもあるかもしれないけど。

www.youtube.com

 

猫に限らず、もしも将来動物を飼うことになったら、その時はもう十分すぎる程に準備をして、お金も空間も余裕を持って迎えたいと思うのです。

飼い主に必要な10の条件|公益財団法人 日本動物愛護協会

「していきます」という言い回しが気になる

始まりました2022年。遅ればせながら今年初ブログです。どうぞよろしくお願いいたします。

もう1月も終わり。お正月気分もすっかり抜け、街は恵方巻きやらバレンタインやら2月に向けて動き出していますね。
まだまだ寒さが厳しいですが、ここまで来るともう春はすぐそこです。私は桜モチーフのグッズやお菓子、ドリンクなどが好きなので、毎年それらを楽しみに寒さを耐え忍んでいます。

さて今日の本題は、タイトルにあるとおり「していきます」という言い回しが気になるという話です。

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きっかけ

最近、寝る前にYouTubeSpotifyなどでマインドフルネスや瞑想など、眠りにつきやすそうな音声を聴くことがあるのですが、そこでやたらと「していきます」とか「していきましょう」という言い回しが多くて、気になってしまうのです。

例えば「体を楽にしていきましょう」「ゆっくり息をしていきます」「目を閉じていきます」など。

別にそれが日本語としておかしいとか間違っているとは思わないのですが、多用され過ぎている気がして、一度気になるとずっと気になるのです。

「体を楽にしましょう」「ゆっくり息をします」「目を閉じましょう」で良くない?
「していきます」じゃないとダメな決まりでもあるの?…と、雑念が次々と湧いてきて、全くマインドフル状態になれません。

 

思えば前にも似たようなことが

以前、某SNSでエクササイズ動画をアップしている人をフォローしていたことがあるのですが、その人もよく「足を伸ばしていきましょう」「ここで腰を落としていきましょう」などと言っていたのが気になり、フォローを辞めたのでした。

 

なぜ気になるのか?

これは感覚的な話になってしまいますが、なぜこんなにも気になるのか?自分の脳内を整理してみました。

私は「していきます」という言葉に中長期的な「継続」のイメージを持っています。

「これからこの会社で頑張っていきます!」「今後はミスの無いよう注意していきます」という感じで、現時点から少し先を見据えて、その動作を継続するイメージ。

また、一連の何かを始めるタイミングで使われることも違和感はありません。

例えばゲーム実況動画の「今日はこのゲームをやっていきます」とか、物品レビュー系動画の「〇〇を買ってきたので、早速開けていきたいと思います」といった言い回しは、動画の冒頭で1〜2回くらいしか耳にしないですし、この動画は何を見せてくれるのか、導入としてわかりやすいと感じます。

そのため、継続性があまりない(と感じる)、連発される「していきます」を聞いていると、冗長な気がするのです。

 

実際に多用している人達はどういう感覚なのか、興味があります。特に何も感じていないのか、その方が説明しやすいといった意図があるのか。気になる・気にならないの認知に差があるとしたら、それはどこから生まれるのか。

もしかしたら、動画や音声コンテンツの発信側になってみないと分からない感覚もあるのかもしれないですね。

 我ながらどうでもいいことが気になるなぁとは思いますが、もし「していきます」と言わないマインドフルネス動画に出会えたら、それはそれで「お、していきますって言わないぞ」というところに注目してしまって、結局マインドフル状態になれないんじゃないかという気もしています。