お久しぶりです!瑠璃です。
すっかり放置しすぎて、もう更新しないんだろうなぁと自分でも思ってましたが戻ってきました!書きたいことが出てきたからです。

(過去サムネ使いまわし)
早速本題へ。
タイトルのとおりなんですけど「人生に勝ちも負けもない」です。というのも、少し前に「人生負け組」を名乗る人に出会ったからです。直接会ったわけではなくて、それをコンセプトにして発信をしている人をネット上で見かけました。
所謂、「勝ち組・負け組」という概念って、最近あんまり聞かなくなったと思いませんか。だから少し興味を引かれたんです。珍しいなって。
まぁ、完全に死語になったわけではないけど、わざわざそれを言うこと自体が憚られるようになったというか。勝ち組に関しては「自分で名乗るとちょっとイタイよね…」という価値観が割と浸透しているような感覚があります。
一方、負け組はどうか?
負け組って人に向かって言うのはものすごく失礼ですよね。殺伐としたTwitter(Xになってからはもっと治安が悪い)においても、罵り合いの場面以外では見たことないし、現実世界でもほとんど見聞きしたことはありません。
ただ、自虐で使う人はたまにいますね。
自虐ネタというのはいつの世にも存在するものです。
近年では「平成一桁ガチババア」なんて言葉があります。昭和生まれ、物心ついたときには平成だった私としては、平成初期のメンタリティーという面では共感できるものの、平成生まれでないため完全に乗っかることもできず、何とも言えぬ立ち位置です。でも将来的には「昭和生まれがまだ生きてる!」と珍重されるポジションを目指したいです。昭和後期生まれにとっての明治生まれのような。
負け組に話を戻します。
冒頭で言及した人が、まさに自虐で「負け組」を名乗る人でした。どうやら本人としてはネタで言ってる風でした。直接やり取りをしたわけではないので、勝手な想像ではありますが、おそらく自己開示の一環のつもりなのかな、と。
それで「自分が如何に負け組であるか」を延々と発信していました。いろいろと大変な人生を送ってこられたようで、最初は私も興味本位で、更新される度に見に行っていたのです。しかし、段々としんどくなってきました。人のネガティブ話を聞かされるのって、思った以上にメンタルに来るものですね。(なのにわざわざ見に行ってる私が悪いという自覚はあります)
ただ、それを発信している本人は気付いていない様子。弱い所をありのまま見せることで、共感を得ようとしているように見えました。ところがそれが逆効果で、回を追うごとに人が離れていったのではないかと推察しています。
そこで私が感じたのが「負け組を名乗る危うさ」でした。
個人が特定されるのは避けたいので、その人が思う「負け組要素」についてここには書きませんが、確かに一般的には「大変だなぁ…」と思える過去のエピソードがありました。でもその人には、そんな過去から這い上がった強さが確かにある。過去を省みて、堅実に今を生きる逞しさを持っている。だからこそ、ここまで生きてこられて、発信活動もできるのでしょう。
それなのに、せっかく持っているその強みを活かさずに「負け組」の部分にばっかりフォーカスして、自己イメージとしての「負け組」を強化してしまったように見えた。さらに、見る人によっては必ずしも「負け」でないことも「負け」に包括しているような印象を受けました。
これは例え話ですが「誰にも相手にされない」と言いながら、数百人レベルのフォロワーがいる、みたいなことです。いやいや、それすら得られない人も世の中にはごまんといますけど!?と言いたくなるような、得ているものの大切さに目が向かず、失ったものばかりを数えているとでも言いましょうか。
本当は、明確な勝ち負けが決まっているものの方が限られているのです。スポーツやゲーム等ですね。人生においては、簡単に勝ちとか負けとか言えない。ある時点では勝ち組と言える成果を得たとしても、どこかの時点でそれを失うこともある。(巨万の富を稼いだのに、散在して使い果たして借金まみれとか)
だから、人生に勝ちも負けもないと私は思うのです。もちろん、何か目標に向かって、勝ちを目指して努力することは素晴らしいですけどね。それこそスポーツや受験だったら、ライバルに勝たないと到達できない場所があるのは事実です。でも、そこで勝ったからといって人生の全てに勝ったとは言えない。負けも然り。
さて、件の発信者については、観察をしばらく続けていたのですが、アカウントごと消えてしまいました。残念なことです。やはりその背景にも、敗北感があったのでしょうか。確かめる術はもうありません。
私のこのブログも、アクセス数は少ないですが、負けたとは思いません。そもそも誰とも勝負していないからです。存在するだけで価値があります。ですので、はてなブログが存在する限り、また数年後に書きに戻ってくるかもしれません。その日までさようなら!






