瑠璃色レンズ

レンズ越しに見たこと、思ったことを綴ります。

あれから11年

今日は3月11日。2011年の東日本大震災から11年も経つのですね。

何もない毎日の生活を過ごしているとついつい忘れがちになってしまいますが、今日はあの日のことを思い返し、改めて防災を考え、犠牲となった方や今も辛い思いで日々を過ごす方に心を寄せる1日にしたいと思います。

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私の2011年3月11日の記憶は、朝、会社に行くための身支度をしていたところから始まります。あの日もちょうど金曜日でしたね。

時計代わりに流していた朝の情報番組で、翌日に全線開通を控えた九州新幹線のことが取り上げられていたのをよく覚えています。沿線各地からの中継映像で、地元の方々が新幹線の開通を心待ちにしている様子が伝わり、自分まで楽しみでワクワクしていました。

会社へ行き、いつもどおり仕事をしていた15時頃、社内が少しざわつき始めました。上司たちがあれこれ話していて、最初に知ったのは「東京で大きな地震があったらしい」ということ。

当時、沖縄の会社にいたのですが、東京へ転勤して働いている人も多かったので、その安否確認が行われているようでした。私のパソコンにも、東京にいる同期からメッセージが飛んできました。「すごい大きな地震があった!」と。

ですがこの時はまだ、あんなに大きな被害になっているとは露知らず。帰宅してテレビを見て初めて、東北の太平洋沿岸の様子を知ったのです。それでもまだ情報が錯綜していて、断片的な情報しかわかりませんでした。

しかし時間が経つにつれ、各地の映像が流れるようになり、報道される津波での死者数もどんどん増えていって、未曾有の大災害だということが徐々にわかってきました。テレビでは夜通し災害報道が続けられ、翌土曜日になってもその状況は変わりませんでした。何事もなければ九州新幹線開通の様子を見られただろうに、それどころではなくなってしまったんだと、改めて事態の大きさを感じざるを得ませんでした。

週明け月曜日、会社で毎日行われる朝礼も、いつもと違う雰囲気でした。震源から遠く離れた沖縄なので直接的な被害はありませんでしたが、誰もがニュースを見て衝撃を受け、心を痛めている様子は明らかでした。東京へ転勤している人達は無事だったことが伝えられ、皆で黙祷を捧げてから仕事が始まったと記憶しています。

 

あれから11年。私は沖縄を離れ、いつまた地震が起こるともわからない関東で暮らしています。日本列島にいる以上、絶対に地震がないと言い切れる場所なんてないと思いますが、関東は特に首都直下地震の可能性もある以上、常日頃から防災意識を持っておかないといけませんね。

2018年の大阪府北部地震をきっかけに買った防災の本(東京防災)を読み返そう。そして、防災用品も見直そう。自分と、大切な人の命を守れるように。